えーとですね。
4月4日の午後8時44分に僕の祖母がなくなりました。
祖母といっても僕には特別で、うちの両親は共働きなんで
簡単に言えば、乳母みたいなもんですか?僕、ばぁちゃんっこなんです。
その祖母が先日なくなりました。
それはあまりにも突然で、何の前触れもなく、いつもと同じ日常の一こまからの異変でした。
本当にいつもと何も変わらなくて「ありがとう」というたった5文字の言葉すら伝えることが出来ませんでした。
それどころか、年を重ねるごとに素直さをなくした僕とお年寄り特有のアレで僕はばぁちゃんを少しばかり邪険に扱って、軽く喧嘩みたいになっていました。
それから約30分後にもう二度と話すことが出来なくなるなんて思ってもいなかった。
謝ることすらできなくなった。
いろんな後悔ばかりが押し寄せてきて病院で心音を取り戻したばぁちゃんに近づくことも
冷たくなってしまったばぁちゃんに触ることも躊躇していました。
そして祖母が亡くなったという事実と、後悔している自分をどこかフィルターの外から感じている自分が嫌でした。
病院では沢山泣いたので、家に帰ってきたばぁちゃんの前では極力泣かないようにしました。
泣いてもきっと困るだけですし、家族に迷惑をかけてはいけないという考えもあったのかもしれません。
顔を見たり、思い出したらやっぱり涙は出ましたけど
葬儀のほうは何の滞りも無く、無事に済み…寧ろ友引を挟んだためゆっくり送ってあげることが出来ました。
色々やる事があって急がしかったというのもありますが、ちょっと泣いたけどちゃんと笑って送ることが出来ました。
告別式とか、通夜とかにしか来てなかった親戚には「お前んちの葬式泣く人いないのな」とかいってましたが、みんなもう泣きつかれてたというのもあるし、人知れず涙を流していた。
「湿っぽくなるのと、保証人にはなるな!!」というのが祖父のポリシーだったらしくみんな笑ってました。
祖母が亡くなって2週間たちますが、未だに実感がないのです。
会社の人には「大丈夫?」といわれましたが、何が大丈夫で何が駄目なのか良く分かりません。
まだ普通にコタツに座ってるような、外をひょこひょこあるってるような気がするのです。
ただ、ふとした拍子に思い出したりだとか、一人で家に居るとあまりにも静かで寂しくなったりもしますが
泣いたところで戻ってくるわけでもないので、受け入れるしかないんですけどね。
「ありがとう」と「ごめんなさい」はきっと何回言っても足りないんだと思います。
だったら、ちゃんと成長しているところを見せるべきだと思いたいのです。
なので、僕は今までどおりにゆっくり前に進みたいと思います。
ブログもちゃんと更新したいと思います。
最後に、ここまで読んでくださって有難うございました。
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